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くるまの話あれこれ Vol-11: 私にとっての本田宗一郎さん語録
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本田宗一郎さんについては多くのメディアによって紹介されていますので、ここで私がそれらについて触れることではありません. どこにも載っていない 「私たちスタッフへの本田宗一郎語録」 をご紹介します.1967〜8年頃のことですが、本邦初公開!.いや、もしかしたらどこかで語られているかも知れませんが目に触れたことはありません.
ある日、HONDA の広報部より本田宗一郎さんと 「カーチス号」 の記念写真を撮ってくれという依頼を受けて、カメラのスタッフと向かったのが埼玉県和光市にある本田技術研究所でした. 正面玄関前に置かれていた 「カーチス号」 の横でお待ちしていると程なく作業服を着た本田さんが現われました. ニコニコと笑顔をたたえ懐かしそうに車の周りを回りながら、私たちスタッフに 「カーチス号」 のことや当時のレースの模様などを話されました.まるで町工場のオヤジさんが近所の子供たちを集めて話をされているような、そんな雰囲気に私たちは撮影のことなど忘れていろいろな話を楽しく、面白く聞かせていただきました.
気がつけば小一時間あまり経ち、私はカメラマンを促して撮影をお願いすることにして本田さんに 「カーチス号」 の横に立っていただきました.数本のフィルムに本田さんと 「カーチス号」 をカメラに収め帰り支度をしていると、本田さんが 「ご苦労さん」 と言ながら寄ってこられて言われました. 【 ウチはな、クルマを作っている会社だからクルマはなんぼ壊しても構わんが、君たちスタッフやモデルさん、世間の人さまにケガをさせたり迷惑をかけるようなことはせんように気をつけんといかんぞ.】 それは温もりのある 「天の声」 でした.
当時の日本は高度経済成長期にあり、モータリゼーションの普及と共に交通事故も激増の一途をたどっていました.
毎日の新聞紙面やテレビ画面から流れてくる映像に心を痛められている様子がわかりました.公の席上での演説ぶった口調ではなく、身近に接する私たちのような者にも本心から話される本田さん、誰よりもクルマを愛し、クルマ社会の恩恵を願っていた本田さんの素顔をかい間見るような気がしました. これが 「私への本田宗一郎さん語録」 です.
蛇足ながら、私が HONDA の仕事に携わっていましたかれこれ5年と数ヶ月ほどの間は無事故で役目を果たせていただきました.但し、撮影車は5台ほど使い物にならないポンコツにしてしまいましたが、、、. (*^_^*)
ところで本田宗一郎さんと 「カーチス号」 との記念写真ですが残念ながら手元にないのです.当時 HONDA の広報部からプレス用に配布されたのですが、私が保存しているいろいろな資料の中には見当たりません. 目下、資料の整理中ですが今回のサイト掲載には間に合いませんでした.残念ですが、この項は画像なしです.持っている方、どなたか貸してくださ〜い.
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【 HONDA 未公認 ・ 私設 HONDA COLLECTION より 】
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